石川啄木先生に学ぶ貧乏セックス

豊かな世の中では、ついつい忘れられがちになりますが、貧乏人であってもセックスをします。身分や貧富にかかわらず、性欲と快感は人間に平等に与えられているものです。例えば、明治時代の代表的な貧乏人である石川啄木でも、です。

はたらけど はたらけど 猶(なお)わが生活(くらし) 楽にならざり ぢっと手を見る
いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
かなしきは 喉(のど)のかわきをこらえつつ 夜寒の夜具にちぢこまる時

貧しさの悲哀を、五七五七七の短い詩の中におさめられる才能は傑出したものであり、厳しい生活の中でも啄木が懸命に生きている姿が目に浮かぶようです。 これほど清廉な人間なら、卑猥(ひわい)なことなど考えもしないでしょうし、妻以外の女性に目もくれず、女郎を買って遊んだりもしないはず、と誰もが感じるのではないでしょうか。

ところが、人間の性欲と言うものは、どんなに貧しくともなくなるものではありません。啄木はたくさんの女性と、さんざん遊びまくっていたのです。
女郎屋遊びの達人だった!?
石川啄木は中学時代に女生徒を妊娠させた疑惑とカンニング問題で学校を首になり、一旗あげるために上京します。故郷には、中学時代からさんざんしまくった恋人を残していました。短歌の世界で少し名が知られるようになると、その恋人と結婚しますが、稼ぎが少ないために同居することができません。結婚してすぐに子供もできましたが、新婚なのに別居生活をせざるをえなくなりました。

東京で「いつか有名になってやる!」と意気込みながら生活費を稼ぐ毎日。妻は遠くにいますので、性欲を発散することができません。中学のときから女体の中に出す快感を知り尽くしていましたので、オナニーだけでは性欲を持て余してしまいます。そのため、娼館に足しげく通うことになりました。金もないのに娼婦を買って、一晩中遊びまくるのです。清廉な貧乏歌人には、女郎屋の達人という別の顔もありました。
えげつない遊びに興じていた!?
啄木の遊び方は、単に勃起したものを舐めさせたり思いっきり射精したりするだけではありません。げんこつを相手のヴァギナにつっこんで拳がぜんぶ吸い込まれるのを楽しんだりもしています。何度も挿入しては中出しして、一晩中女郎を眠らせなかったりもしています。精力絶倫の男だったようです。

こうした遊びを、啄木はきちんと日記に書き記しています。さすがに文章家だけのことはあるのでしょう。えげつない遊びも、細部漏らさず記すことで自身の糧にしようとしていました。ただ、妻には内容を見せられません。そのため、ローマ字で書き残したのです。「ローマ字日記」と呼ばれたりもしますが、しゃれたものを作ろうとしたのではなく、女郎屋遊びを妻に知られたくないためにそうしただけのこと。啄木の死後に発見された日記は、妻によって友人の金田一京助に預けられ、啄木の死後何十年もその存在は明らかにされませんでした。それほど、恥ずかしい内容なのです。

貧乏人もセックスをします。石川啄木ですら、色んな遊び方をしていたのです。生活が苦しいからと子づくりを控えるかっぷるもあるようですが、ぜひ啄木をみならって、たくさんセックスをすべきでしょう。