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天皇から叱られるほどにヤンチャだった「伊藤博文」


伊藤博文先生に学ぶヤリチン!?

明治維新の後、わが国の政治・経済の基礎を固めた最重要人物といえば、伊藤博文でしょう。韓国人にはかなり嫌われているらしく、伊藤博文を暗殺したテロリストの安 重根は韓国では英雄扱いされていたりしますけれど、わが国では、長年にわたりお札の肖像に使われており、偉人であることら間違いありません。鎖国政策により、欧米諸国の技術力や経済力に大きく遅れをとっていたわが国を、短期間に国際競争力のある国へと発展させたのですから、その手腕は並大抵のものではありませんでした。韓国統治においても力を発揮し、それが故に恨まれ暗殺されたのでしょう。

もともと名家の出身というわけではなく、貧しい百姓の息子です。それが、40代でわが国最初の総理大臣となり、結局、4度も首相を務めたのですから相当な力量の持ち主です。政治の分野では偉大な功績を残した人ですが、単なる仕事人間ではありませんでした。わが国を列強に対抗できる国家に作り上げるのと同時並行で、たくさんの女性とも交わりました。わが国最初のカーセックスをしたのは伊藤博文だとされていますし、天皇陛下から「下半身はほどほどに」と注意されたという逸話もあります。暴れん坊のヤリチン男でもあったのです。

何連チャンでもできるつわものだった!?

伊藤博文の下半身は疲れを知らなかったようです。主に芸者相手に遊びまくり、一人と行為中にもう一人を別室に待機させ、事が終わると呼び入れて新たに一戦交えるといった「やりまくり」を好んでしました。40度の熱があるときにも二人の芸者を側に置いて寝たこともあったそうです。吉原遊郭にも足しげく通い、ある時、遊女と2戦、3戦と遊んだ帰りに、別の遊女に目がとまり、その女を自分の馬車に引き入れて、明け方まで車の中で突きまくった、という武勇伝もあります。

足腰立たぬほどにされた遊女が、「狭い車内で大変だった」と語ったことが新聞で報じられてしまったこともあります。これは、「わが国最初のカーセックス」とされています。国費でのイギリス留学中には、ロンドンの色街で遊びまくり、外国女たちをヒィヒィ言わせまくったそうです。国籍問わず、色んな女性と交わり続けたのです。

陛下のお叱りも効果なし!?

伊藤博文には友人の妹であった「すみ」という妻がいましたが、芸者遊びのあげくに惚れ込んだ「梅子」に熱をあげ、「すみ」を捨てて梅子と結婚しました。梅子も元芸者ですが、再婚した後も伊藤博文は芸者遊びをやめません。一種の人生目標であったのか、それとも病気だったのか、とにかく他の女性とセックスしたくてたまらなかったのでしょう。自らも博文の「やりまくり」相手として囲われていた梅子は、浮気には寛大だったといわれます。

こうした素行は明治天皇の心配するところとなり、お叱りを受ける事態となりました。その際、博文は「密かに愛人を囲ってこそこそとやりまくっている者もいるけれど、公認の芸者としているだけだ」と、自らの正々堂々ぶりをアピールして聞く耳を持たなかったと言われています。とはいえ、実際にな「プロ」だけを相手にしていたのではなく、素人さんにもちょっかいを出しました。鹿鳴館での仮装パーティで、伯爵婦人に手を出したことが騒ぎになった事件もありました。実際に何があったのかは藪の中ですが、庭で強引に挿入したなどとも騒がれました。

伊藤博文は明治の偉人。セックスの面でも大きな功績を残しました。現代の政治家が同じことをしたら、政界に残ることはできないでしょう。おおらかな時代ならではの宰相だったのかも知れません。

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